立教開宗のご恩

               住職 小野山  淳堂

 

御教歌

 春の日の心のどかにみるものは   

           楓の芽出しちらぬ花かな

 

 先月末の門祖会も無事に奉修でき、予定より多くの参詣で随喜しました。いよいよ今年のご奉公もヒートアップしていかねばなりません。殊に今月二十八日は立教開宗記念日で、報恩口唱会を開催させて頂きます。お祖師さまが天地自然を立会人に勇壮に立教開宗されたご恩を胸に刻み、報恩の口唱に励んで一人でも多くの方とご縁を結び、折伏教化の実をあげさせて頂きましょう。

 

 さて、林芙美子の詩の一節に、「花の命は短くて、苦しきことのみ多かれど、風も吹くなり雲も光るなり」とあります。波乱万丈の中に生きた女性作家の、悲しいけれど前向きな詩です。この詩には「生きてゐる幸福はあなたも知ってゐる、私もよく知ってゐる」の一節もあります。

 

 お互いは、いろんなお陰を被って今日を生きています。悲しい日も、苦しい日も、辛い日もありますが、今日も風が空を渡り雲が光彩を放って青空の中に浮かんでいます。

 人生の景色の移ろいを楽しめれば、頬吹く風にも不幸を吹き払う幸せを感じ、雲の輝きに未来の希望を見ることもできます。

 冒頭の御教歌では、桜の花がさっと咲いて一陣の風にも慌ただしく散っていくのとは違い、春の楓(カエデ)は色鮮やかな新芽が出るや花となり種となり、新しい葉が燃え立つように出揃って春の息吹、命の芽吹きをじっくり楽しませてくれると詠まれています。

 

 開導聖人はこのお歌のお書入れに、

「仏ノ御説ノ上ニテモ仏ノ捨ヨト仰ラルル小権迹ナレバ拾ツベシ〇末法ニハ余経モ法花経モ詮ナシトノ下(たま)へバ正直ニ捨テ唯南無妙法蓮華経斗(ばかり)ヲ信唱スルガ受持ノ人ト申也」と示されてあります。

 「小権迹」とは小乗経・権大乗経・法華経迹門の教え。これ等の教えは同じ仏説ではあっても、末法という時代に入って、真実の法華経本門のみ教え・御題目が弘められるまでの方便の教えでしかありません。

 お祖師さまはこのことを、如説修行抄に、法華経の御文を引いて、「正直に方便を捨てて、余経の一偈をも受けざれ(正直捨方便、不受余経一偈)」と示されてあります。

 み仏の教えならどの御経もみな同じではない。末法という時代には方便の教えはさらりと捨て、唯々南無妙法蓮華経の御題目だけを信じジックリお唱えすれば真実のご利益が頂ける。このことを楓の芽吹きに譬えて詠まれたのが冒頭の御教歌です。

 

 この御教歌にはご利益談が示されていて、山口栄七というご信者が、足の病気で天理教を頼んだり奥さんが五十日間水ごりしたりと手を尽くしても治らず、病院の院長からも「信心デ治タラ医者ヲ止ルト」言われるのを、謗法を払いお助行をたのんで祈願をこらし、その日の内に痛みが止んで足の腫れが引き、自由が利くようになったと記されてあります。

 法華経本門八品の御題目は仏説に叶い真実のご利益の頂ける御法。無常の風に心悩ませることがあっても、口唱の功力に心のどかな幸せを感じることができるもの。先ずはお祖師さまの立教開宗を思い口唱に励んで、報恩の誠を尽させて頂きましょう。

 

御指南「南〇 経ハ思慮分別ノ及ブ所ニ非ズ言語道断心行所滅ノ大法也。信ズル時ニハ本佛自受用ノ本智ヲ頂クモノ也」(扇全12・40)