慶応二年、大石燈篭造立される



慶応二年四月、法華堂の境内に大石燈篭が造立された。この燈籠は開導聖人御自らのデザインになるもので、笠と火袋が大きく、しかもくびれた胴には「常夜燈」という文字が深く彫りこまれている。この燈篭には、「これでは胴から折れてしまいます」という石工に、「同じ一枚の岩から採ったものなら大丈夫」と、開導聖人が逆に石工を教えられたという逸話が残っていて、今更ながら、開導聖人がいかに該博な知識の持ち主のお力であったかに驚かされるのである。以来、数々の地震にもビクともせず雄姿を保っているこの大燈篭は佛立宗の宗宝といっても過言ではなかろう。また、この大灯籠にまつわる有名な話がある。

追分に住む信者・林甚太郎氏は、夫婦に子供五人の資乏家族、一家 七人が一日何も食べずに暮らす日も多々あった。しかし、お寺の大燈篭に久しく灯が点っていないのに気がついた甚太郎は、その灯を灯す事を自分のご奉公と思い立ち、極貧の中から命がけで毎日一合の油を買い、お寺に日参しては燈篭の灯を灯し続けた。しばらくすると、「私にも月替わりでご奉公を」という者が現れたが、「これは自分の精一杯のご奉公」と、初心を貫き、ついには健康とお金の御利益を頂いて、一家が安心して暮らせる日々を迎える事ができるようになったのである。(大津開講一五〇年記念誌「ともしび」より)

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