お盆を迎えて」

        住職 小野山  淳堂

 

御教歌

世の中に父母のなき人はなし

   孝より大いなるはなきなり

 

 今月五日・六日の両日に亘り松風会のクイズラリーを開催します。江北布教区の夏季錬成大会と同時開催で、開導聖人のご足跡を辿り、縁(ゆかり)の地を訪ねます。松風会としては記念法要以外での初の行事で、交流の実の上がることを期待しています。今後ともご支援下さい。

 今年は六月の開導会から十月の高祖会まで少し間が空きます。その分、心してお教化に取り組まねばなりません。ご生誕二百年のご奉公もあと四か月。お寺の産みの親である大尊師さまから「よう、頑張った」と言って頂けるよう、身近な人に声をかけ新しい縁を結び、ご奉公させて頂きましょう。

 

さて、芥川龍之介の短編に『杜子春』という小説があります。

唐の都の西門の下、杜子春という貧しい青年が立っていると、一人の老人が現れました。

「若いの、何を考えているんだ」、「今夜は寝る所もないのでどうしたものかと」、「そうか、では教えてやろう」、老人は黄金の在りかを教えてくれ、杜子春は一晩で都一番の大金持ちになり、贅沢な暮らしを始めた。

すると、今まで道で会っても挨拶さえしてくれなかった友達や都の有名人が訪ねて来て、杜子春は酒盛りに明け暮れた。

 

しかし、三年もたつと無一文。遊びに来ていた友達は挨拶はおろか水の一杯も恵んでくれない。

杜子春がまた西門の下に佇んでいると老人が現れて黄金の在りかを教えてくれたが、三年でまた無一文に。杜子春は三たび西門の下に立っていた。

そこへ老人が現れ、杜子春が今度は仙人である老人に弟子入りを請うとあっさり引き受け、杜子春を峨眉山に運んで言った。「いいか、何があっても声を出すな。仙人にはなれんぞ」と。杜子春は化け物に襲われ、殺され、地獄に落ち、あらゆる苦しみを味合わったが約束を守った。 

 

あきれたエンマ大王が「この男の父母が畜生界に堕ちている。ここに連れてこい」と鬼に命じると、二匹の痩せ馬が連れて来られたのを見て杜子春は驚いた。姿かたちは馬でも、顔は父や母。

「お前は何のためにここに座っているのだ。白状しなければ父や母が痛い目にあうぞ」、脅されても杜子春は返事をしない。鬼どもが鉄のムチで馬を打ちのめすと、馬になった父や母は血の涙を流してうめいている。「まだ、白状しないか」、エンマ大王が叫んだ時には二匹の馬は息も絶え絶え、杜子春はジッと目をつぶっていたが、その耳にかすかな声が伝わってきた。

「心配しなくてもいいんだよ。私たちはどうなっても、お前さえ幸せになれるのなら」、それは確かに懐かしい母の声であった。

 

人は大金持ちになるとお世辞を言い、貧乏になると口も利かない。それなのに何という志か。杜子春は老人の戒めも忘れて叫んだ「お母さん」。杜子春が気が付くと西門の下に一人ぼんやり佇んでいたというお話し。

子供に負担をかけまいと、父が作ったお墓の前で、余計なものをと管理料を惜しんで喧嘩を始める子供達。また、もうお墓は墓仕舞い、骨はそこらへんに打っちゃといて。そんな子供の言葉にムチ打たれる様に、お盆のお墓の中で親が泣いていないか。本当にあった話しである。

 

御指南「人として孝なきものは畜生に異ならず」(扇五・三四七)