報命の中に生きる」

        住職 小野山  淳堂

 

御教歌

たすくべき衆生無辺の娑婆なれば

    度願の菩薩来たりいんだり

 

 本紙は創刊300号。発行当初、お寺の刊行物はお講付けだけで、費用のこと記事集めの事など歓迎されない向きもありましたが、25年の歳月を積み重ねて今日を迎えました。若い方がお茶の間の机の上にあった寺報を読んで、良い事が書いてあると喜んでくださったとも聞いています。 

 中山清恩や編集委員、記事を寄せてくださった方々などに紙面を借りてお礼申し上げます。

 ペンは剣より重し、言葉には言霊がこもるといわれます。一つの言葉で喧嘩して、一つの言葉で仲直り、人と人を言葉が結びます。今後ともご支援下さい。

 なお、2月16日はお祖師さまのお誕生日。クリスマスは知っていてもこの日を知らない人もあります。お寺では平成34年のご降誕800年に向けて796歳の報恩祝賀口唱会を開催させて頂きます。

 

 さて、冒頭の御教歌は菩薩の四弘誓願の第一願(衆生無辺誓願度)に寄せて詠まれた御教歌で、「仏さまの教えによって救わなければならない人々が数限りなく住んでいるのがこの娑婆世界であるから、煩悩に迷い苦しんでいる人々を仏さまの世界に導き入れようと誓いを立てた菩薩は、仏さまの世界と娑婆世界を往来して、生々世々に菩薩行の願いの中に生きるのである」と示されてあるのであります。

 

 若い頃、寺外に住んでお寺に通っていた頃は無我夢中でしたが、執事長として本山の朝参詣に通わせて頂いて、「ああ、暗くて寒いこの朝まだきに、お寺に参詣しご奉公されている方々は、本当に仏道修行者だなあ」と感じたことがありました。

 これは大津のご信者も同じで、日々信行ご奉公に励む信者は仏道修行者。自分ではそう思えなくても世間の煩悩に明け暮れている人々とは大きく違っています。ましてやお教化に励みお教化を心掛けている方々はみな菩薩さまであるといえます。

 

 しかし、お互いも世間の人と同じ人間であってみれば、そこに仏道修行者としての苦労や悩みも生まれて来ます。失敗もあれば、自信を無くすこともある。けれども、「度願の菩薩」は気長に諦めず、永遠の命の中で生きよ、ご奉公せよと教えて頂くのであります。

 信者の命は、単に今生一生の命ではない。信者の一生は長い短いにかかわらず、ご奉公の果報に報われた「報命(ほうみょう)」という命であり、仏さまの永遠の寿命の海の中に生き死にさせて頂く永遠の命であります。

 だから、この御教歌の裏には、「短気になるな、諦めるな」という呼び掛けがあるといえます。

 

 本山の事務局次長で長松寺の局長であった今達孝昭さんが1月9日、69歳で帰寂され驚きました。この孝昭さんは、日々のご奉公は勿論、毎日の朝参詣も一日も欠かしたことが無い方で、「今まで子供達を泊りがけで何処かへ連れて行ったことも一度もない」と仰っていました。必ずしもそうしなければならない朝参詣ではないけれど、そうせずにおれないご信心前があり、子供達もそれに応じ、悲しみの中にもお父さんの立派な死に顔に誇りを感じておられる様子でした。孝昭さんも永遠の報命の中で家族を思い、来世のご奉公の準備をされている事でしょう。

 

御指南「人の苦を助けてたのしみとし給ふは菩薩の御心也」

            (開化要談・教、扇十四・三七)