佛立寺の大曼荼羅さん

               住職 小野山  淳堂

 

御教歌

ゆるゝとゆるぎかゝせし妙法の

    み筆の力たとしとぞおもふ

 

 暑かった夏のお会式も無事に奉修。佛立寺史に残る大曼荼羅・両祖ご尊躰お修覆成就の除幕式も無事に執行されました。これもご一同の浄財奉納のお蔭と随喜致しております。

 特に大曼荼羅のご修覆は中山妙柳師が得度する以前に、夫君の中山現照日珠上人のお香典の残りを自分で使うのは勿体ないとご有志頂いたもので、日珠上人と二人三脚でご奉公を頂いたものと随喜しております。

 

 今月十日は布教区夏期錬成会としての鎌倉結縁行列への参加と大阪日風寺高祖会参詣。手分けしてご参詣・ご参加ください。

 十八日は松寿会に併せて「よっといでフェス!」と名付けた「絆の会」を開催します。老いも若きも楽しいお寺に「よっといで!」。

 

 さて、当山の大曼荼羅さんは、宗内でも一番大きな御本尊です。

料紙の大きさはタテ2m70㎝、ヨコ1m50㎝、軸装を含めるとタテ3m60㎝、ヨコ1m80㎝、ヨコだけでも私の身長を超えています。

 皆さんが「この大きな御本尊をどんな風に書かれたんだろう」と訊かれますが、お認(したた)めになった日風上人の孫に当たる祖母から聞いている話では、上人の還暦の時、大正五年に、当山のご信者で親戚にも当る古谷さんがお祝いにお認めを願い出られたのに応えられたのがこの御本尊で、お認めの当日には、新調なさった白いお衣に白いお袈裟で、長い板を紙の上にヨコに差し渡し、その上に乗って認められたということで、直径8㎝程の太いお筆も残っています。

 

 お修覆は、疋田寛子さんのご息子で日展の展友である書道家の疋田雅夫さんに紹介して頂いた「なごみ堂」さんにして頂きましたが、そのご主人のお話しでは、今迄は紙で御本尊の裏打ちをしていたため、紙が横だけでなく上下に引っ張られて櫛のように裂けていたのを、今度は絹布で裏打ちしたので「百年大丈夫、請け合います」と言ってくださいました。

 しかも、このご主人は、法要の翌日、「もう一度御本尊を見せてください。気になって来ました」と言ってお寺においでになりました。

 そして、言われるのに「これだけの大きな御本尊、作品を書こうと思えばよほど思い切りが良くなければ書けません。しかも、これだけ大きな作品なのに全体の統一が取れている。大きな字、小さな字、大胆と緻密のバランス。これはこの全体を上の方から見ている自分があるからこそ書けるんです。それに、修覆したことで書かれた当時の雰囲気が蘇ってきた。活き活きとした感じが伝わってくる。もう一度見たくて来ました。有難うございました」といって満足そうに帰って行かれました。

 

 冒頭の御教歌には御題があって、「日蓮大士の御真筆を拝み奉りて」と記されています。高祖のお筆に日風上人を並べるのは恐れ多いことですが、人柄が筆に出るとすれば、大曼荼羅さんには日風上人の信心前や人柄が出ているのだと拝されます。福井座事件や助給庵、奈良本妙寺の本宗参入交渉など、一代の偉人であった日風上人のお筆にはそれなりの魅力が込もっているのでしょう。我われもそのご信心を受け継がねばなりません。 

 御指南「御本尊は行者の己心なり。神(たましい)なり」(扇9・344)