有終の美を飾ろう」

        住職 小野山  淳堂

 

御教歌

しりに手のまはらぬ程の不信者を    
        祖師の御弟子とたれのいふかは

 

 開導日扇聖人ご生誕二百年のご奉公もいよいよ終局を迎え、先月の高祖会には佛立開花運動五か年誓願がオリジナル誓願も含めて全て無事成就し、奉修御導師の速水日従上人に御礼言上をして頂き、「こんな有り難く嬉しいご奉公は久しぶりだ」とお褒め頂く事が出来て、誇らしい思いをさせて頂くことができました。有難うございました。
 しかし、寺内には、まだ教化誓願の達成していない組や連合、自主教化のできていない誓願者の方もあります。本年最後の御奉公にもうひと踏ん張り力を籠めて有終の美を飾らせて頂きましょう。また、お教化のできた方も「教化三分に育成七分」で、育成の御奉公に気張らせて頂かねばなりません。今月23日の教化親子大会には親子揃って参加させて頂きましょう。

 

さて、冒頭の御教歌は、何事も終りが肝心、目先だけの信心に終って人生の尻・臨終を仕損じるなと教えて頂く御教歌です。昔、テレビ化もされた『氷点』という小説の中に、小学校3年生の陽子という少女が継母から給食費が貰えず、4キロの雪道を歩いて母親の友人の舞踊家の家を訪ね、そのお稽古場を掃除して給食費のお金を貰うシーンが出てきました。そこには三つの年から箒(ほうき)を持つことを覚えた陽子は箒の先をはね上げずに押さえるようにして心をこめて畳を掃き、舞台の板の間を力を込めて拭き上げ、最後に五枚の雑巾を三度すすいで、チリ取りを綺麗にぬぐい、箒を石鹸水で洗って水を切った、とありました。

 

手前が大阪の清風寺に入らせて頂いた時、先輩から「物を出す時には仕舞う時の事を、物を仕舞う時には次に出す時の事を考えて仕舞え」と教えて頂きました。この女の子の掃除の仕方、道具の仕舞い方にはその用心が見事に具わっていると申せます。
 以前、十七世ご講有石岡日養猊下が、経机の引き出しやご戒壇の引き出しに切れたお数珠がそのままになって入っていないか、もう一度見直し信心の姿勢を糺しなさいと教えて頂いたことがありました。お互いは、今使うだけで最後の後始末を忘れ、物を粗末にし、人を粗末にし、結局、自分を粗末にしていないか?振り返らねばなりません。


 御教歌の御題には「信者成仏、謗者堕獄」とあり、「金ためて死たると御奉公して死たるとの落居也」とお書入れになってあります。尻とは臨終、尻に手の廻らぬとは死んで行く臨終の行先に思いが及ばぬこと。お金に使われて一生を送り、目先の欲に溺れて死ねば、たとえお金はあっても行先は地獄、謗者堕獄が不信者の行先である。
 お祖師さまは「臨終の事を先に習へ」とお教え下さってあるのに、その教えを思わぬ不信者を、一体誰がお祖師さまの御弟子信者と呼ぶだろうとお誡め下さってあるのであります。同じ子供でも健気に掃除道具を大切に扱い仕舞う子供もあれば、出したら出しっぱなし食べたら食べっぱなし、親に後始末をさせるだけの子供もあります。
 お互いの今年の信行はどうだったでしょう。弘通年度もあと一か月。正月に立てた誓願を振り返り尻に手の廻ったご奉公に勤めさせて頂きましょう。


御妙判(新池御書・昭定2120)
「始めより終りまで、いよいよ信心を致すべし。さなくして後悔やあらんずらん」