イラつく社会にあって 

               住職 小野山  淳堂

 

御教歌

嘆くなよ怒り散けし其うらの

    出て来たといふ事をしらずや

 

 今月二十四日、高祖会・コロナ禍早期終息祈願法要を奉修させて頂きます。緊急事態宣言も解除され、ワクチンを済ませている方も多いと存じます。今年も無事にここまで来れたことを御宝前に感謝し、本年最終のお会式を盛大に勤めさせて頂きましょう。

 なお、今年は役中改選の年ですが、来年が高祖ご降誕八百年のご正当年ですから、もう一年任期を延長してご奉公頂くことになりました。お祖師さまへの感謝の思いで、慶讃ご奉公の総仕上げをさせて頂きましょう。

 

 さて、これは私事ですが、最近の失敗談をカミングアウトします。

 毎朝の本堂御宝前のお初水のお給仕の時のことです。お初水を取らせて頂こうとすると、お初水をとる容器とお布巾の置き方がいつもと違っていました。前日、誰がお仕舞いしてくれたか解りませんが、正直、いつも通りにいかないことに少しイラッとしました。後から考えると恥ずかしい事ですが、気持ちが動くのを止められませんでした。

 その後、三祖様のお給仕を終えて、大曼荼羅さんのお給仕をさせて頂こうとした時、大曼荼羅さんのお天目の高台の足が、前机の端っこに当たって、コップの御供水が半分近くこぼれてしまいました。

 御宝前さまに申し訳なくお懴悔させて頂いたのですが、思い返せば自分の心の中に起こった「怒り」がその「原因」であったと思われます。

 

 冒頭の御教歌では、怒ることが原因で、その裏に隠れていた怒りの「報い」が必ず出て来るもの、後でそれを歎いても遅い、怒りに身を任すなとお教え下さってあるのであります。

 一般的に、人は自分の思い通りにならないことが起こった時に「怒り」を覚え、平常心を失い、普段できていることさえ出来なくなってしまいます。スポーツで平常心の大事を言うのもこのことで、アメリカの建国の父フランクリンは「怒りと愚行は相並んで歩み、悔恨が両者のかかとを踏む」と言っています。

 お祖師さまのご一生は大難四カ度、小難数知れずと言われる法難の連続で、思い通りにならないことばかり。

 『立正安国論』の建白以来、末法の一切衆生の幸せを祈るお祖師さまの胸中には、人々の苦しみや悲しみを思う心と共に、正法が容れられぬ熱い憤りや怒りが渦巻いていたものと拝察されます。しかし、これは仏法の正義を貫き一切衆生を救わんとする慈悲心からする良い意味での「憤怒」であったと言えます。

 

 ところが、お互いの「怒り」は自分の気に入らぬことに端を発する激情。この突発的な怒りをコントロールするには①6秒を慎む。深呼吸してゆっくり三度、「南無妙法蓮華経」と御題目を唱える。②普段から御看経に励みストレスを浄化する。③お参詣やお助行で気分を変える。④相手のある時は相手の気持ちを御法門の心で考える等が挙げられます。

 今、社会では、コロナでストレス濃度が高まり、「怒り」を募らせている人も多く、三歳児に熱湯をかける事件なども起こりました。お互いに常日頃から「平常心」を養い、お祖師さまの「憤怒」の慈悲心を倣って、折伏教化に励ませて頂きましょう。

御指南「はらをたつればあだとなる。堪忍すれば師となる」(扇24・207)