無能の一筋

        住職 小野山  淳堂

 

御教歌

しにしなに親のみもとにかへれるか

         かへられぬかはわれにたづねよ

 

 ゴールデンウイークから始まる今月。五日・六日には、第六回青少年大会が第一支庁の主催で開催されます。ご講有上人が記念の法要を五日の夕方四時から、本山でお勤めくださいます。新しい出会いもあるはず。今まで本山にお参りする機会に恵まれなかった方々も、みんなと一緒にご参加をお勧めします。組長さんにお申し出ください。

 なお、六月九日は「草津別院三〇周年」、七月二十九日は開導会に併せて「大津法難一五〇周年」の法要を営ませて頂きます。時間を切り取り、時間に意味を与え、時間を生きるのは人間だけ。動物に歴史はありません。歴史を生き、歴史に生かされている自分を味わいたいもの。今回の法要もそれぞれの意味を汲み取り、自分のものとして生かし、一層、信行ご奉公に精進させて頂きたいものです。

 

 さて、松尾芭蕉の『笈の小文(おいのこぶみ)』という書き物に「ある時は倦(うん)で放擲(ほうてき)せん事を思ひ、ある時は進んで人に勝たむ事を誇り、是非胸中にたたこふうて是が為に身安からず。暫(しばら)く身を立てむ事を願へども、これが為にさへられ、暫く学んで愚を暁(さとら)ん事を思へども、是が為に破られ、つひに無能無芸にして只(ただ)此の一筋に繋(つなが)る」とあります。

 

 「ある時には俳句を詠み文章を編むのに心が疲れて、もう止めようと放り出す事を考え、ある時には心が勇んで、人にも優れた文章を書き、良い句が浮かんで自分が勝ったとうぬぼれ、誇り顔になったこともあり、良きにつけ悪しきにつけ、自分の胸の中のいろんな思いと闘い、時には身もだえして眠れない夜もあった。少しの間は、この道で身を立てることができるだろうと自信ができて、これが続きますようにと願いもしたが、その思いが邪魔をして良い作品ができなくなったり、少しの間は他の人の良いものを学んで自分の愚かを知り、新しい道を見つけて新境地を開こうと思ったが、それも思うにまかせず挫折を感じたりしてきたのである。しかし、こうして能力の限界を感じ、ワザの未熟さを嘆きながらも、只々、無能にして一筋にこの道に繋がってきたからこそ、今日があるのである」というのです。

 

 また、芭蕉はその晩年の床で辞世の句を求められて、「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、わが生涯の一句として辞世ならざるなし」と弟子に言い遺したと言います。

 一つの事に愚直に向き合い、苦しみ悩み、喜び誇り、浮き沈みを繰り返しながらも、「無能に」歩いて行けば、それが一つにつながって道となり、その道を振り返れば事の成否が見えてくる。信行の道も歩いている間は迷い苦しみ悩む事もあるけれど、無能に、バカが付くほど正直に歩き続ければ「自分の一生、信行は真剣だった」と胸を張ることもできるはず。開導聖人は、臨終の後の行く先は自分の胸に問え。自分の信行の道を振り返れば行先が解ると教えられてあります。人生は無常。いつその時が来るか解りません。無能にしてこの一筋につながる無智宗の信行の道を歩みたいものです。

 

御指南「若死(わかじに)せし人も大功あり。百才までいきてゐたるも、さのみ思ひ出のなきもあり。これ誰のあやまちぞや」(扇5・435)