きらめく星になりたい

        住職 小野山  淳堂

 

御教歌

日くるれば空にみちぬるその中に

             きらめく星の数はすくなし

 

 集中豪雨に台風に地震と、自然の脅威に苦しめられた今年も終盤、今月二十八日はいよいよ高祖会です。奉修導師は前第二宗務支庁長で堺・安国寺の御導師であられる蔭山日昇上人。晴天のもと家族、組内こぞって参詣し、賑やかな御会式とさせて頂きましょう。特に、教化誓願が達成していないお組や自主教化誓願者は精一杯のご奉公をさせて頂き、後悔の残らないようにさせて頂きたいものです。

 

 さて、テレビで「プレバト」という番組があります。俳句や水彩画など、芸能人が作った作品の良し悪しを競って、プロの先生に評価して頂き、添削や先生の手本によってその腕前を上げていくというものです。思わぬ人が意外な才能を発揮したり、予想通りの腕前であったりと、面白い企画の番組です。しかし、この番組の面白さは、それぞれの作品の良し悪しを見るだけでなく、それを競い合う所にもあるようで、作品の出来によって「才能アリ・凡人・才能ナシ」にランク付けされ、司会者がメンバーの顔触れや前回の順位などを考え、順不同に順位を発表していく所に醍醐味があり、一位になった方の笑顔はたまりません。

 昨今の小学校では、運動会でも一等賞や二等賞などと順位付けしてはいけないとしてこれが無くなったり、朝の朝礼でも先生の登る台が生徒達のまん中に置かれたりしていると聞いたことがありますが、「二つものあれば必ず勝劣あり」で、順位は必ず付くものです。

 人間は怠惰なもので、とかく楽をして儲けようとしますが、苦労した者に苦労を嫌がる者が勝てるでしょうか。たとえ勝ったとして、その人に真の称賛はなく長続きもせず、人間どこかで苦労がなければ成長はあり得ません。また、不孝にして困難に見舞われた時には温室育ちは一たまりもありません。

 

 宗内には一人で年間十人以上の方々をお教化して、毎年、本山の高祖会で表彰を受け、他の者がみだりに入ることを許されない庫裡の一の間でご講有と一緒に写真を撮っていただき、今生の思いで作りを続けておられる方があります。

 こうした方々は、やはり普段からお教化の志を持って人と縁を結び、御宝前にお願いをして弛みなくご奉公を続けておられる方です。

 「お寺は数ばかり言う」と反発したり、「お寺全体では誓願が達成したから、今年の教化はもういいんじゃないか」、「教化の口があるなら、来年に取っておこう」と凡夫考えを働かせたりする方もありますが、競って自分に負けず一人でも多くの方に御利益を、このご信心をと心がけているご信者と比べて不甲斐なくはないでしょうか。

 

 日が暮れて夜空が顕れた時、多くの星々の中にも人が心を惹かれ目を奪われるのは、人一倍輝く大きな星です。お互いは人と生まれてこの御法にお出値いして、いつも輝きのない、凡人以下の才能ナシの信者で満足でしょうか。才能ナシどころか、折角、信者となりながら自分の世俗の欲一方で死んだのでは行先は危うく、たとえ寂光に参拝できたとしても、隅っこに小さく肩をすぼめている信者で恥ずかしくはないでしょうか。

 開導聖人は冒頭の御教歌と共に「若値悪友則失本心」と書き入れられています。善き先生、善き信心のお手本に近づき、御題目口唱に参詣に、今日できる信心の苦労に精一杯勤めさせて頂きましょう。

 

御指南「多き信徒の中にもこれはご奉公と目にたつ人となるは尠し」(扇一四巻・三八六頁)