育てるということ

             住職 小野山  淳堂

 

御教歌

 捨おかばおのれそだちにわるうなる

   弟子も植木もせはしだいなり

 

 「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」、五月は一年の内でも明るく活動的で、一番過ごしやすい月の一つです。

 殊に五日は子供の日。祝日法には「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」とあります。端午の節句は男の子の日ですが、「子供の日」は全ての子供の無事成長を願うとともに、命がけで産んでくださったお母さんにも感謝する日だということです。

 五月から六月にかけて、母の日・父の日と家族の日が続きます。こうした日が季節の移り変わりの中で家族の絆を育んでくれるのでしょう。

 お寺でも五日には子供フェスティバルを開催し信楽の山田牧場でチーズ作りと乗牛体験をします。こうした日を生かして信心教育を心がけ、ご信心の情操を育みたいものです。

 

 さて、お寺の庭にツツジの花が咲き始め、今年は例年より多くの花が咲き、目を楽しませてくれています。きっと、去年の剪定の時期が例年より、時期に適っていたのでしょう。これまでツツジの剪定時期のことなど知る由もなく、勉強もせず、夏の開導会に合わせて植木屋さんに入って頂いていましたが、去年は花が散った後、遅くならないよう気を配って剪定に入って頂きました。

 

 人を育てるのも同じで、じっくり教えることが大事な人や時期もあれば、性急に間髪を入れず折伏しなければならない時もあります。

 開導聖人は、冒頭の御教歌に御題を置かれ、「折伏ハ慈悲第一」と示されています。性急にせよじっくりにせよ、お折伏には「慈悲」が第一で、叱り付ける折伏では相手に通じないということです。また、ツツジ同様、相手に無関心で相手のことを知らなければ、その花をきれいに咲かせることはできないということでもあります。

 開導聖人は冒頭の御教歌に、「怠りは我信行を捨おく也。謗法の始まり堕獄の門也」ともお書入れで、子供や孫、他のご信者が「怠りがち」と思えば捨ておかず早く、クセとなる前に折伏せよ、堕獄という不幸を招くなとの教えです。

 

 また、「朝夕のお看経もしたらしたゝけの御利生を蒙る。よその御看経も御法門聴聞するも他のことには非る也」ともお書入れで、朝夕に励む口唱の功徳が自分の功徳となるだけではなく、他人のためにする口唱でさえ自分のものとなり、あの人を折伏するには?と聞く御法門も、自分のためとなり、自分を折伏上手にしてくださるのだとの仰せです。

 

 故・疋田寛子さんの子供の頃の話。お母さんの中島てるさんに「寛子!」と呼ばれて、自転車の後ろにお母さんを乗せてケンちゃんの家に走る。お母さんがお灯りをあげて、テンカンで泡を吹いているケンちゃんのお助行に取り掛かられ、治まった頃、ケンちゃんのお母さんに「お看経は出来てるか?子供が可愛かったらしっかりお看経を」と強折。家へ帰って来ると夕飯時。もう一度ケンちゃんの家にお使いに行って、寛子さんがちゃぶ台に座るとお母さんの前だけ魚がない。そんなことが何度もあったとか。お互いも人の心を育て信者を作るお折伏をしたいものです。

 

御指南「すてそだちの子にかしこきはなし〇皆親に心配苦身させるもの多し。愚人をたらし育てにせしは悞也。講中も庭のサツキの如し」(扇全10・156)