「師恩忘却を畏れよ」

               住職 小野山  淳堂

 

御教歌

授かりしみのりの親のめぐみをば

    わすれぬ人を教へ子といふ

 

 今年は年初より中山清恩の家内が帰寂し、古参の強信者さんであった金田茂さんが帰寂され、昨年末から何かと多事多難な幕開けの年となりました。

 殊に、今月日衛上人のご年回を勤めて頂く高松の小野山日鷲上人ご本人からの電話で、脳梗塞で一カ月ほどの入院加療が必要とお聞きした時にはびっくりし、早期快復をご祈願させて頂いて来ましたが、残念ながらご年回は私が勤めさせて頂くことになりました。日衛上人のご親戚と寺内教講の身内ばかりの法要になりますが、できるだけ日衛上人にお悦び頂けるよう、心を尽くしたご奉公をさせて頂きたいと存じております。次のご年回は五十回忌。十三年後です。ご一同も、心してお塔婆、お花、お供え物は勿論、当日の参詣、御奉公にお気張りください。

 

 また、今月十六日はお祖師さまの八〇一回目のお誕生日で、この日を目指して昨年来続けさせて頂いてきた口唱カードによる御題目口唱のプレゼントカードをお祖師さまにお供えさせて頂きます。当日はご修行日でもあり、全国統一口唱会の日でもありますからお祖師さまへの報恩の思いで繰り合わせて参詣させて頂きましょう。

 

 さて、冒頭の御教歌には、お祖師さまが龍ノ口の法難を受けられた時、四条金吾殿が殉死の覚悟を決められた決定の信心前、また、佐渡ヶ島まで、遠くお祖師さまを尋ねられた師を慕う情を称賛されたお書入れがあり、続けて「師恩忘却畜生にも劣る」と記されています。

 すなわち、教えの親であるお祖師さまから本門八品所顕上行所伝の御題目を教えて頂き授かった恵み、幸せを忘れずお祖師さまと殉死しようとした四条金吾殿の信心前、何処までも師を恋慕する師考の思いは本当の教え子・弟子の心意気である。我々もこのみ心に随わなかったら師匠のご恩を忘却するに等しいとお誡めくださったのがこの御教歌です。

 開導聖人は別の御指南書にもこの御教歌と同様の御指南をおしたためになってありますから、余程、四条金吾殿のこの信心前を愛(め)で、自分も腹に納めなければと肝に銘じておられたものと拝されます。

 

 また、開導聖人がこの御教歌を詠まれたのは明治十八年で、翌年には無病臨終を宣言されていますから、このお歌は最晩年のお歌で、お祖師さまのご恩を知る真実のお弟子・教え子でありたいと願う開導聖人のご心情を詠まれているとも申せます。

 翻って、お互いの日衛上人に対する思いは如何でしょうか?

 日衛上人は五世猊下日風上人亡きあと、第十一世講有日颯上人の膝下に有って、昭和二十三年に遷化された笹田日旺上人と共に戦前・戦中を競い合うようにご弘通に励まれ、昭和三十四年、日颯上人が十四世講有位に晋まれたのを機に佛立寺九世住職を継承され一轍の信心を貫かれました。

 日雲大徳に法燈を継承されてのちは「大導師」と呼ばれておいででしたが、大導師を知るご信者も段々少なくなったとは言え授かった「信心」の教えは今も佛立寺の中に脈々と流れています。「師恩忘却」を畏れ、教えをシッカリ継承して次の世代に譲り遺させて頂きましょう。

御指南「説いて下さる人なければ聴所なし。導師を捨れば門流の宝を捨て信者の中の柱をたおすなり〇弟子、師匠を捨て何によりて法を学ばん」(扇全4巻13頁)