初心を忘れず勤める

               住職 小野山  淳堂

 

御教歌

願くはつかひ給はれ奉公を

   するなんどいふ身分ではなし

 

 先月、当山十世日雲大徳卅七回忌に併せて、当山六世岡野日信上人八十五回忌を無事営ませて頂きました。

 日信上人と日雲大徳はお爺さんと孫の関係で、北海道の最初弘通を志された日信上人のもと、八雲で育たれた日雲大徳にもお喜び頂けたものと思っております。

 また、当日の日雲大徳の御法門のお声や栞の写真に、共にご奉公させて頂いた若き日を思い出し、胸を熱くされた方もあったと存じます。

 

 今月五日は高祖会。併せて高祖御降誕八百年結実法要、高祖御尊躰修覆成就記念法要を東京遠妙寺のご高職・元宗務総長の木村日覚上人にお勤め頂きます。お寺参詣には、心が安らぎ心を豊かにする功徳があります。コロナ以来お会式参詣が滞っている方も、こぞってお参詣させて頂きましょう。

 

 また、私事で恐縮ですが、先月の本山大法要の折、得度五十年を表彰して頂きました。全世界にネット配信されている大法要の中での表彰は全く光栄の至りでした。

 昭和四十七年八月一日、大阪の清風寺で、恩師西村日地上人のおカミソリを頂いて、藤本淳講日唱師と三人で得度式をして頂き五十一年。『思えば遠くへ来たもんだ』の思いです。

 今月の二十三日には、お役の有無は関係なく、参加希望の有志の方で祝賀会を開催して頂けるそうで、有難く存じている次第です。

 

 さて、冒頭の御教歌は、その得度式の日にお師匠が、我々のために拝んでくださった御法門の御教歌で、佛立宗のご信心は「する」「してやる」ではなく「させて頂く信心」、しかも、身体でさせて頂く「給仕第一」の信心が大事と教えて頂く御教歌です。 

 私が得したての頃、五十脚以上並んでいた本堂の先輩のお教務方の経机にお布巾を掛けていた所、清風寺の中にあった大放光社に務めておられた少し足のご不自由なご信者が、私に声を掛けてくださったことがありました。一生懸命に一人で布巾掛けをしていた私は、びっくりしてその方を振り返ると、優しい声で「頑張ってくださいね」と言われました。

 

 その日の一言が今でも私の心の中に残っていて、時折思い出しては、「あの時の一言は、キット一生懸命だった私を褒めてくださった一言だったんだ」という気持ちが起って来て、あの頃を忘れてはいけないと、自分の誡めとしているところです。

 

 九月の『信徒研修御講』で「お給仕」について講義をさせて頂いた時、「御宝前のお給仕は一家の主人がさせて頂くもの」とお話しさせて頂いた所、後日、局長の中島勝さんが、「局長になって、本寺にお参りさせて頂くので、御宝前のお給仕が不行き届きになっていたのを、一時間早く起きて改良させて頂きました」とご修行の折にご披露されました。

 これを聞いた堀綾子さんと中西修さんが、私達も改良させて頂きましたと中島さんに言われたそうで、九十歳、八十歳を越えたお二人が、初心を忘れず、素直に御宝前のお給仕を改良されたのは驚きでした。

 兎角、「する」「してやる」で当たり前のお互い。慢心を去り初信で勤める喜びを感得させて頂きましょう。

 

 御指南「小児ハ母にそたてらるゝニして御法を乳母の如く給料やりてそたてさすといふいはれ更ニなし、慢心おこすべからず」(扇十四・一六〇)