今月の御法門 

   娑婆と寂光 

      住職 小野山  淳堂

御教歌 

寂光と娑婆の隔てを人とはゞ

   御殿にかけし御簾のうちそと

 弘通年度の最終月を迎えました。今年の教化誓願も残る二個。これで誓願不成就では残念至極です。しっかり御宝前にお願いし、ご縁を手繰って無事円成させて頂きましょう。

 今月三日には七五三・成長お礼参詣を営ませて頂きます。コロナで騒がしい年でしたが、今年も御宝前のお陰でここまで来させて頂きました。大切なお子様への無事成長の祈りを込め、家族揃って参詣致しましょう。

 また、今月は「絆フェス」を開催します。ご信者の皆様にも色んな趣味や技術をお持ちの方がおられます。今のこの時期、同信の作品に温もりを感じ合わさせて頂きましょう。

 

 なお、高祖会に際し、多くのご信者方からのお供え物料に随喜致しております。有難う御座いました。

 

 さて、冒頭の御教歌には御題があり、「娑婆での口唱、寂光にきこゆるかと云に」と示されています。

 寂光とはみ仏のおいでになる所、娑婆は我々の住まいする所ですから、遠い別の世界かと思いますが、そうではない。丁度、御殿にかかった御簾の内と外のようなもの。御殿の主である高貴な方は、娑婆からは見えずとも確かにお御簾の中においでになる。同じ御殿の住人である我々も、そのお御簾一枚隔てた世界に住まわせて頂いており、この娑婆世界で唱える御題目の声は、み仏の幽玄な寂光のご座所まで響いて、我々の声をお聞き届け下さるのであります。

 

 開導聖人はこの御教歌のお書入れに、「生身の釈尊にあひまいらせたりと思召へし」と記されてあります。この御文は、『四条金吾殿御返事』の一節で、「釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つ也。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは生身の釈迦如来にあひ進(まい)らせたりとおぼしめすべし」(昭定六六六)との御文の要を引かれたものです。

 すなわち、御本尊さまの御題目を生きてましますみ仏と信じ、御題目口唱に徹すれば、み仏はすぐ隣の寂光においでになって、お互いの祈りを聞き届けて下さるという事です。ところが、お互いは、凡夫の知恵を働かせると、この事が解りません。

 開導聖人は、冒頭の御教歌の傍に、「学文はせぬがよきかと思ふ哉 十が八九は慢心になる」というお歌もお書入れになってあります。

 

 今、学術会議の任命拒否問題が取沙汰されています。学者の十中八九は慢心の学者バカ。往々に、真理に真摯に向かい合う謙虚さを忘れ、先入観で真実の姿を歪めている自分に気づかない、世間知らずで人を見下して平気、傲慢な人が多いものです。

 こういう人は、「管見」で、ご信心の真相も見えない。「近き現証を見て遠き信を取るべし」という道理も解らず、現証が現実でも原理を問うて信じません。娑婆即寂光のみ仏の世界に住まいする私が信じられず、自分の声がみ仏に届くとも思えない。お互いは素直正直の信者になって現証に恵まれ、心安く豊かに今年のご奉公を締め括らせて頂きましょう。

 

 御指南「末法今時法華経所座の処、行者所住之処、皆是寂光也。所謂法妙なる故に人貴し、人貴きが故に処貴し」(扇二-六五)