心の塵を払わん

        住職 小野山  淳堂

 

御教歌

世にまじる心のうへにつむ塵(ちり)を 

              みのりの風よ吹はらはなん

 

 一年もあっという間。昨年末、琵琶湖ホテルで催した開導聖人の「お誕生パーティー」が今は懐かしく思い出されます。今年は九日に薫化会のお餅つきに併せ「絆の会」を催します。副導師や役員の皆さんが何回も会議を開いて工夫を凝らしてくれました。皆さん、気軽にご参加ください。

 今年を振り返れば、七月の「大津法難一五〇年記念法要」が最大の行事でしたが、台風に見舞われる中、間一髪で無事に法要も結縁行列も講演会もご奉公させて頂け、今も胸を撫でおろしている所です。

 

 来年は、二月十日に日衛上人、十月二十日に日雲大徳の卅三回忌をお勤めさせて頂きます。また、三月三日の東京光隆寺を始め、他寺院のお参詣も予定されています。是非ともご一緒しましょう。

 なお、年末の除夜法要、年始の元旦法要には家族ぐるみで追分の私達のお寺に参詣させて頂きましょう。佛立寺はご信心の親元、呉々も他宗の寺や神社に参って親不孝の謗法を犯し、逆に家や身の上に不幸を招かぬよう用心が肝心です。

     

 さて、冒頭の御教歌の上の句に、「世にまじる心の上につむ塵」とあります。この娑婆世界は五濁悪世。凡夫の煩悩のチリやアクタ、俗塵にまみれた世界で、今年もセクハラやパワハラ、お金や権力にまつわる醜い不祥事や事件が数知れず起こりました。しかし、お互い佛立信者の信行の場所は、この娑婆を置いて他にはありえません。山の中に籠ったり、人里離れた僻地に隠れてするのが佛立宗の信心ではなく、むしろ、煩悩の迷いの逆巻く世の中に積極的に交じって、苦しむ人々に御題目の手を差し伸べるのが「凡夫を相手」の「不軽流の菩薩行」であり、佛立信心の流儀であるといえます。

 お祖師様や門祖様、開導聖人は、「和光同塵(わこうどうじん)」といって、貴いみ仏のお使いとしての徳を隠してその光を和らげ、ワザワザ末法の世に我々と同じ凡夫として生まれ、救いの手を差し伸べて下さったのであります。お互いもそのお弟子、信者として信行にいそしみ、他の人びとに救いの手を差し伸べさせて頂かねばなりませんが、しかし、お互いは、元来が罪障の深い凡夫。

 

 時には道ならぬ色恋の欲が頭をもたげ、世間のよろめきが羨ましくお参りがうとましい。時には金持ちが偉く見えてお金の無い自分が小さく見え、財の功徳が積めない。時には信心せずとも世間の人は結構上手くやっている、今楽しまなかったら楽しむヒマがないぞと声がして、お看経やお教化に身が入らなくなる事もあります。

 ホコリの舞う街を行けば自分もホコリ塗れになる事もありますが、そのホコリが人生を仕損じるもと、堕獄の因ともなるのでありますから、お互いは信者の心の上にも積もる世俗のチリを見逃さず、「みのりの風よ、吹きはらはなん」で、「尊いお題目の力、風の力よ、どうか心のチリを吹き払って欲しい」と願いなさいとお教え下さってあるのであります。「なん」は「~して欲しい」で「強く願うこと」。

 

 今年も年末を迎え一年の汚れを清める大掃除の時。お互いは今年一年の御法さまのお護りに感謝しつつ、一番汚れ易く、一番身近で気づき難い信心の心の塵を払い浄め、来年も信行ご奉公に明け暮れる日々が送れますよう、祈りを込めて参詣し口唱に励み、師走を大切に信行させて頂きましょう。

法華経(従地涌出品)

「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」(開結四一三頁)